家の玄関には、「脚下照顧」の色紙が掛けてあります。
禅寺の玄関でも「脚下照顧」や「看脚下」の禅語がよく見られます。
本来は「自分の足元(自分自身)をよく顧みなさい。」といった意味なのですが、
現在では、「靴を脱いだら揃えなさい。」という標語のような感じで使われていることも多いようです。
「靴を脱いだらキチンと揃える。」幼児でも出来る簡単なことなのですが、私自身、50歳になった今でも完璧に出来ているとは言えません。
時間にしたら2~3秒なので、どんなに急いでいても出来ない言い訳にはなりません。
これは時間の問題ではなく、心の問題なのです。
私自身を振り返ってみると、心の状態と靴の脱ぎ方には密接な関係があります。
1.心が穏やかで、周りにも気を配る余裕があるとき
ー 自分の靴ばかりでなく、家族の靴も乱れていれば直します。ー
2.特に大きな問題や心配事もなく、普通の状態のとき
ー 意識してなくても習慣として自分の靴は揃えます。ー
3.イライラしていたり、急いでいるとき
ー「脚下照顧」の文字が目に入ったり、気が付いても脱ぎっぱなしにする
ことがあります。ー
4.かなり心が乱れているときや自分の中で緊急事態が発生しているとき
ー 靴を揃えること自体、忘れています。ー
3の状態のとき、一瞬我に返り、とりあえず形だけ揃えることがあります。
形だけで心はここにあらずなのですが、靴を揃えている時に「脚下照顧」の文字が視界に入ると、少し冷静になることがあります。
日々の仕事や生活の中で、心が乱れるのは避けられませんが、どんな時でも靴を揃えるくらいの心の余裕を持ちたいです。